黄金色 命たわわに麦穂波(Wheat ears swaying in the wind)

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  • Опубликовано: 24 сен 2024
  • フルート、ビブラフォンなどを使って、ゆったりとした曲を作りました。
     麦は4月頃に穂をつけ、5月に入ると黄金色に色づいて、収穫期を迎えます。
     俳句の季語である「麦秋」という言葉には「秋」がついていますが、これは、麦の穂が実る「初夏」の季節をさすものです。文字だけを見ると秋なのかと思いますが、実は初夏を表現しているのですね。
     一般的に、麦の種を蒔くのは晩秋から初冬にかけて。寒い冬に芽を出し、春の暖かさを迎えるとすくすくと育ち、やがて麦畑は鮮やかな緑色で覆い尽くされます。そして、初夏になると穂がたわわに実り、麦畑が黄金色に染まる5月下旬から6月初旬のこの時期が「麦秋」なのです。
    ◆麦秋や 子を負いながら 鰯売り
     小林一茶の俳句です。一面、黄金色に染まった麦畑の道を、赤ちゃんをおんぶしながら鰯売りの行商をしているお母さんの姿を詠んだもので、この句の季節も初夏です。
     百万年以上も昔、私たちの先祖が類人猿だった頃、すでに野生の麦が食べられていたようです。およそ1万年前、中東からメソポタミア地域にかけて、栽培されるようになりました。野生の麦は成熟すると実が落ちてしまうのですが、突然変異によって実が落ちないものが現れたことが、栽培の始まりだと考えられています。
     狩猟、採取生活をしていた人類が、原始的な農耕と定住生活を始めたのは、紀元前7千年頃。そして、紀元前4千年頃になると、農具を使って耕地を広げ、水路を掘って川の水を灌漑するといった、本格的な農業が始まりました。メソポタミアやエジプトでは大麦や小麦、インドや中国南部ではイネ、中国北部ではキビやアワが栽培されました。
     これらの多量に収穫できる穀物は、1年以上貯蔵することができ、それによって人口が増えてきました。そこから大きな集落が出現し、やがてクニになり、そこを支配する王と豪族、神官、農民、奴隷などの社会階層が分かれて、古代王国が誕生してゆきました。
     人類の命の糧である麦は、文明発展の原動力になったのです。
     麦は、弥生時代、稲とともに、朝鮮半島から日本にもたらされ、当時の遺跡から土器に付着した大麦が発見されています。奈良時代の天皇の「詔勅」には、「飢餓に備えて、晩稲、そば、大小麦を植えよ」と書かれたものがあるようです。
     麦には、小麦、大麦、ライ麦、燕麦などの種類があります。
     大麦と小麦は栄養成分もよく似ていますが、麦ごはんといえばもっぱら大麦を使い、逆にパンや麺の多くは小麦で作られます。これは、たんぱく質の違いにあります。小麦のたんぱく質は「グルテン」で、粘り気があり、パンをふんわりと膨らませ、麺にはコシを出します。一方、大麦に含まれるのは「ホルデイン」というたんぱく質で、粘り気はありませんが、吸水性があるのが特徴です。そのため、小麦粉で作るパンはふんわりと膨らみ、大麦を使った麦ごはんはお米と一緒に炊いてもふっくらとおいしく仕上がるのです。
     また、ライ麦は、寒冷な気候や痩せた土壌などに耐性があり、主に小麦の栽培に不適な、東欧および北欧の寒冷地において栽培されています。主にパンの原料となっています。
     燕麦は、グルテンをもたないため、小麦ほどパンには向かず、オートミールの原料となることが多いようです。

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